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2023年6月7日 失敗が約束された大分ホーバー計画

本日新聞朝刊に、大分の新ホーバー計画が、部品の損傷により2ヶ月程度遅れるという記事が出ていた。佐藤樹一郎新知事は、安全を優先し、開業を遅らせることもやぶさかではないとの発言をしたようだ。遅らせるのではなく、中止すべきではないか。そもそもなぜこのような計画がなされたのだ。 

かつて大分には全国でも珍しいホーバーによる定期航路があった。それも約40年も続いていた。大分川の河口から、大分空港までを約40分で結ぶホーバー航路である。ホーバークラフトであるので、そのまま上陸することが可能であるが、陸路では完全ドリフト走行しかできないこの船の動作が面白かったものである。小生もよく利用したが、少し海が荒れると運行見合わせがあり、往路は行けても、帰路で使えないことも少なからずあった。その場合は大分駅までバスで行き、そこからホーバー基地まで乗り換えて車を取りに行く必要があった。このときの運行会社は、民間のバス会社の子会社で、社長は親会社から派遣されていた。船の乗組員は船長のみで、たしか100人程度の乗客を乗せたと思う。当初の小さい船から、新造船を繰り返し、窮屈だった足元も割りにゆったりしたものである。今のような空港行きの高速道路もなかった時代なので、ホーバーの利便性は当時は高かった。数回に一回運行停止に遭遇してもまずは試してみる経路でもあった。大分の駐車場も無料だったし。

ヨットに乗るようになると、普段のヨットでの航海域とこのホーバーが完全にかぶった。海上の交通規則はだいたい直進する船同士の規則であって、相手を右に見る船に航路を譲る義務がある。視界はよいのでかなり手前からクロスする相手船の航路は把握できる。ところがホーバーは違うのだ。まず段違いにスピードが速い。海上をまるで自動車のように移動する。大きな爆音を立てて、さらにクラクションまで頻繁に鳴らして走り抜ける、一種の海上暴走族だったのである。ホーバーからクラクションで追いたてられてもこちらはせいぜい6ノット(時速11キロ程度)である。どうやって進路を譲れるというのか。我が物顔でクラクションを鳴らしながら沖合いから大分川に突っ込んでゆくホーバーはやっかいな船だったのだ。そしてこの大分ホーバーは破綻した。

開設から約40年を経て、2009年に民事再生手続きがなされ破綻したわけだが、それには無論理由がある。一つは県営の大分空港道路の開設であり、そのことによる運行時間の優位性が崩れたこと、安定的な陸路の確保によるものである。さっさと逃げ出した前社長にかわって、親会社から送り込まれた新社長は、当初喜んで転属したらしいがその後の苦労は測り知れないうえ、自己破産まで強いられたと当時を知る人は言う。気の毒なことだ。

このように大分ホーバーが破綻したのは、必然の理由のあることなのだ。単にコロナ渦による利用者減少などという短期的な問題のためなどではない。しかも空港道路はホーバーが廃止された翌年の2010年には無料化されている。ホーバーが廃止されたあと、その復活を望む声など聞いたこともない。いったい何を血迷って県はホーバーを復活させたいと考えているのだろうか。

そもそも前広瀬知事は、前々職の平松お祭り大好き知事の大放漫経営の後を受けて、不採算事業の整理に心血を注いだはずだ。この平松知事の三大負の遺産といえば、蒲江のマリンカルチャーセンター、香りの森博物館、それに大分ドームなるサッカーグラウンドがある。マリンカルチャーは解体が始まり、香りの森は安値で売却。売却先は平松氏とゆかりのある学校法人だ。大分ドームは、屋根がないとワールドカップが呼べないと嘘をついて県民をだまし、巨大な屋根を作り、おかげで芝生が育たないという弱点をもたらした。その広瀬氏が、なにを考えてホーバー再運行を考えたのであろうか。知事退任を前にしてご乱心としか言えないではないか。県議の皆様は、そこに疑問持たなかったのだろうか。こんなことさえ反対できない大分の県議は全員失格である。

大分のホーバー事業が成功するわけがないという私の見立ては、以前失敗したうえ更に優位性が失われているという根拠に基づいている。今回は失敗しないという根拠がはたしてあるのであろうか。以前より陸上交通環境は改善されており、自家用車で空港に出向くことが当たり前になった現在、この不安定な航路を再度トライする必要などあるのか。多大な県民の税金をどぶに捨てるがごとき行為であるこの無謀なホーバー事業は、やればやるほど赤字を積み立てるのは自明である。以前のような民営であれば、破綻ですむ。県営となると赤字は抹消できないわけであるからなおさら性質が悪い。深手を負う前に即刻やめるべきである。それが新知事の責任というものではないか。